「新三様」は資源か、それとも制度か――中国が設計する“循環の強制経済”の本質

(副題)廃棄物・資源・安全保障が交差する地点で何が起きているのか

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■要旨

中国の「新三様」と呼ばれる一連の政策動向は、表面的には使用済み動力電池、太陽光パネル、風力ブレードといった新しい廃棄物群への対応として理解されることが多い。しかし、実際に進行しているのは、廃棄物処理の高度化でも、単純な資源循環の拡大でもなく、「資源とは何か」「循環とは何か」という定義そのものを書き換えようとする制度的試みであると見るべきであろう。

とりわけ重要なのは、この「新三様」が、技術的には必ずしも資源として高効率に回収可能とは言えない対象を含んでいる点である。動力電池については、確かにリチウム・コバルトといった戦略金属の回収という意味で「資源戦略」としての実体を持つ。しかし、太陽光パネルや風力ブレードに関しては、現状では元素リサイクルやダウンサイクルに留まり、天然鉱山に代替しうる資源循環とは言い難い。

それにもかかわらず、中国はこれらをあえて一括して「資源戦略」と位置付ける。ここに、この政策の本質がある。すなわち、中国は「資源の質」ではなく、「回収可能性の網」「制度による強制」「標準の先取り」という別の軸で資源を再定義しているのである。

この意味で、新三様は「資源戦略」であると同時に、「制度戦略」であり、さらに言えば「産業構造を先に作り、技術は後から追いつかせる」という中国特有の政策思考の具体的な現れである。

歴史的に見れば、中国の廃棄物政策は「衛生処理」から「環境規制」、さらに「資源循環」へと段階的に発展してきたが、新三様はその延長ではなく、「資源安全保障とサーキュラーエコノミーの融合」という新しい段階への跳躍である。その結果、サーキュラーエコノミーはもはや環境政策の一部ではなく、産業政策、さらには地政学的競争の中核へと位置づけ直されつつある。

これに対し、日本の制度は、依然として廃棄物の適正処理とリサイクル促進を中心とする「環境対策型」の枠組みに留まっており、資源戦略としての制度統合という点では大きな差が存在する。欧州はこれを規格と市場で制御しようとしているのに対し、中国は強制力とスケールで押し切ろうとしている。

したがって、新三様を単に「中国の先行事例」として評価するのではなく、「サーキュラーエコノミーが資源戦略に転化したときに何が起きるのか」という問いとして捉える必要がある。そのとき見えてくるのは、技術の優劣ではなく、「制度が市場を強制的に成立させる」という、新しい経済の形である。

■第1章 新三様とは何か

―「廃棄物の分類」ではなく「制度の単位」であるということ―

中国における「新三様」という言葉は、一般には「使用済み動力電池」「廃太陽光パネル」「風力発電ブレード」という三種類の廃棄物を指すものとして説明されることが多い。しかしながら、この理解は表層的であり、実際にはこれらは単なる「対象物の分類」ではなく、政策運用上の「制度単位」として設定されたものであると見る必要がある。

すなわち、新三様とは、「新たに増大する廃棄物群」ではなく、「従来の廃棄物処理体系では扱いきれない特性を持つ対象に対して、国家が一体的に制度を設計し、産業として成立させるための枠組み」であり、その意味では、対象物そのものよりも、それを束ねる政策の構造にこそ本質がある。

まず、この三つの対象を技術的に見れば、その性質は大きく異なる。動力電池は、リチウム・コバルト・ニッケルといった高価値金属を含み、適切な処理を行えば比較的高い回収率で再資源化が可能である。一方、太陽光パネルはガラスとアルミが大部分を占め、銀やシリコンといった価値のある成分は微量であり、しかもEVA封止材によって分離が困難である。さらに風力ブレードに至っては、熱硬化性樹脂を主体とする複合材料であり、現状では機能リサイクルはほぼ不可能で、セメント原燃料化などのダウンサイクルに留まる。

このように見れば、「新三様」は資源性という観点では均質ではなく、むしろ極めて非対称な集合である。それにもかかわらず、これらを一括して扱うという点に、政策としての意図が現れている。

では、何が変わったのか。

第一に、廃棄物の捉え方が「処理対象」から「管理対象」へと変わったことである。従来の廃棄物は、排出された後に「どのように処理するか」が問題であった。すなわち、処理技術や最終処分場の確保が中心であり、廃棄物は基本的に「出てしまったもの」として扱われていた。しかし新三様においては、廃棄物は発生した時点で既に「追跡されるべき対象」となり、例えば動力電池では製造段階からデジタルIDが付与され、その後の使用・回収・再資源化に至るまでの全履歴が管理される。これは「捨てた後の問題」ではなく、「最初から管理する問題」への転換である。

第二に、責任の所在が「排出者」から「設計者」へと移動したことである。従来の制度では、廃棄物の処理責任は主として排出者、すなわち廃棄時点の事業者や消費者に帰属していた。しかし新三様では、特に動力電池において、自動車メーカーが回収の最終責任を負うことが制度化されており、「誰が捨てたか」ではなく「誰が作ったか」が問われる。この結果、製品設計そのものに対して、回収・分解・再利用を前提とした設計変更の圧力がかかるようになる。

第三に、経済性の成立条件が「市場原理」から「制度による強制」へと変わったことである。太陽光パネルや風力ブレードのリサイクルが現状では採算に合わないことは周知の通りであるが、新三様の枠組みにおいては、埋立禁止や回収義務によって「やらない」という選択肢が排除される。その結果、リサイクルは「儲かるからやる」のではなく、「やらなければならないから成立する」産業となる。さらに、前払い基金やEPRによってコストが事前に内部化されることで、リサイクル事業者単体では成立しないビジネスが、社会全体としては成立する構造が作られている。

第四に、資源の定義が拡張されたことである。従来、資源とは市場価値を持つ物質、すなわち金属やエネルギー資源を指していた。しかし新三様では、例えば風力ブレードのように素材としての再利用価値が低いものでも、セメント原料や燃料代替としての利用、あるいは埋立回避による環境負荷低減といった機能があれば、それも広義の「資源」として扱われる。この結果、「資源」と「廃棄物」の境界は曖昧化し、制度によって定義されるものへと変わる。

そして第五に、より重要な点として、これらが個別に扱われるのではなく、一つの政策パッケージとして運用されていることである。動力電池だけを見れば、それは確かに資源戦略として理解可能である。しかし、太陽光パネルや風力ブレードを含めて「新三様」として一体的に扱うことで、政策の対象は個別の資源回収から、「新エネルギー関連廃棄物全体の管理」へと拡張される。このことにより、制度は個別最適ではなく、産業構造全体を規定するものとなる。

具体的に言えば、電池のデジタルID、パネルの回収義務、ブレードの処理規制といった異なる施策が、それぞれ独立に存在するのではなく、「新三様」というラベルの下で統合されることで、企業は個別対応ではなく、サプライチェーン全体の再設計を迫られることになる。これは単なる規制強化ではなく、「産業の前提条件が変わる」という意味を持つ。

以上のように見てくると、新三様とは「三つの廃棄物」ではなく、「廃棄物・資源・製品設計・市場・制度を一体化するための枠組み」であり、その導入によって変わったのは、個別の処理方法ではなく、「経済活動の構造そのもの」であると言える。

したがって、この新三様を理解するためには、「どの資源がどれだけ回収できるか」といった技術論に留まるのではなく、「なぜこの三つが一括され、どのような制度として運用されているのか」という視点から捉える必要がある。そして、そのとき初めて、この政策が単なる循環型社会の延長ではなく、「循環を用いた産業再編」であることが見えてくるのである。

■第2章 歴史的推移

― 廃棄物処理から資源安全保障へ、そして制度の転換点としての新三様 ―

中国における廃棄物政策の展開は、一見すると段階的な発展のように見える。しかし、その内実を丁寧に追っていくと、それは単なる進化ではなく、政策目的そのものが段階ごとに入れ替わってきた過程であることがわかる。すなわち、「何のために廃棄物を扱うのか」という問いに対する答えが、時代ごとに変化してきたのである。

まず出発点にあるのは、1980年代から1990年代にかけての「衛生処理」の段階である。この時期、中国における廃棄物問題は、急速な都市化と工業化の進展に伴って顕在化した生活ごみや産業廃棄物の増大に対し、いかにそれを安全に処理するかという極めて実務的な課題であった。廃棄物はあくまで「処理すべきもの」であり、焼却や埋立が中心であった。この段階では、廃棄物は経済から切り離された存在であり、「終わったもの」であったと言ってよい。

次に訪れるのが、2000年代に入ってからの「環境規制」の段階である。経済成長の加速とともに、廃棄物は単なる衛生問題ではなく、大気・水質・土壌汚染の原因として認識されるようになり、規制の対象として位置づけられる。この時期には、「固体廃棄物汚染環境防治法」の改正や、「循環経済促進法」の制定などが行われ、廃棄物は「汚染物質」として扱われるようになる。ここで初めて、「排出者責任」や「有害性」という概念が制度に組み込まれ、廃棄物は単なる不要物ではなく、「管理すべきリスク」として認識されるようになった。

しかしながら、この段階においても、廃棄物は依然として「処理されるべき対象」であり、その先にある資源としての価値は、副次的なものに留まっていた。

その転換点となったのが、2010年代後半からの「資源循環」の段階である。ここでは、廃棄物は「都市鉱山」として再定義される。とりわけ象徴的なのが、2017年の「洋ごみ輸入禁止」であり、それまで中国が世界の廃棄物処理場として機能していた構造を自ら断ち切ることで、「外から入ってくる廃棄物を処理する国」から「自国内の資源を循環させる国」への転換が図られた。

さらに、「無廢城市(ゼロウェイスト都市)」の試行が開始され、廃棄物の削減・再利用・再資源化が都市政策として組み込まれる。この段階では、廃棄物は「資源」として扱われ始めるが、それは主として廃プラスチック、廃紙、廃金属といった従来型の再生資源に限定されていた。すなわち、「既に技術的に処理可能で、経済性があるもの」が対象であった。

ここまでは、世界の多くの国が辿ってきた道筋と大きくは変わらない。

しかし、2020年代後半に入り、この流れは明らかに異なる方向へと進み始める。それが「新三様」の登場である。

この段階において重要なのは、対象となる廃棄物の性質が、それまでとは根本的に異なる点である。動力電池、太陽光パネル、風力ブレードはいずれも、新エネルギー産業の拡大に伴って大量に発生し始めたものであり、かつ、複合材料・長寿命・広域分散といった特徴を持つ。これらは従来型の廃棄物とは異なり、「簡単に分解できず」「処理コストが高く」「資源としての回収も容易ではない」という性質を持っている。

つまり、新三様は「資源循環が成立しにくい対象」であるにもかかわらず、政策の中心に据えられているのである。

ここに、従来の延長では説明できない断絶がある。

では、なぜこのような対象が選ばれたのか。

その理由は、廃棄物の性質ではなく、その背後にある産業構造の変化にある。すなわち、電動化・再生可能エネルギーの普及によって、これらの製品が爆発的に増加し、かつ、それに含まれる資源が国家的に重要なものとなったことである。動力電池に含まれるリチウムやコバルトはもちろん、太陽光パネルの銀、さらにはそれらを支える供給網そのものが、資源安全保障の対象となった。

したがって、この段階では、廃棄物はもはや「処理対象」でも「資源」でもなく、「戦略的管理対象」として位置づけられるようになる。

ここで、もう一つの重要な変化が生じる。それは、政策の時間軸である。

従来の廃棄物政策は、「問題が顕在化してから対応する」という後追い型であった。ごみが増えたから焼却場を作る、リサイクルが必要になったから制度を整える、といった形である。しかし新三様においては、まだ大量廃棄が本格化する前の段階で制度が整備されている。これは、「将来の廃棄物」を見越して、先に制度を作るという前倒しの政策である。

具体的には、動力電池ではデジタルIDによるトレーサビリティが義務化され、廃棄段階ではなく製造段階から管理が始まっている。また、太陽光パネルや風力ブレードについても、回収・処理の枠組みが先に設定されることで、「廃棄物になる前から制度の中に組み込まれる」という構造が作られている。

この変化は決定的である。

すなわち、廃棄物政策は「後処理」から「事前設計」へと転換したのである。

さらに、この段階では、廃棄物の扱いが国内政策に留まらず、国際的な枠組みと結びつき始める。バーゼル条約による越境移動の制限、欧州のデジタルプロダクトパスポートとの競合など、廃棄物は「どこで処理するか」という問題から、「どの基準で扱われるか」という問題へと変わる。つまり、廃棄物は国際的なルール競争の対象となる。

このように見てくると、中国の廃棄物政策は、

  • 衛生処理
  • 環境規制
  • 資源循環
  • 資源安全保障(新三様)

という四段階を経てきたように見えながら、実際には、「廃棄物の意味そのもの」が段階ごとに再定義されてきた過程であることがわかる。

そして新三様は、その中でも初めて、「資源としての価値が不確実であっても制度で回す」という段階に入ったことを示している。

言い換えれば、ここで初めて、「技術が制度に従う」のではなく、「制度が技術を引きずる」段階に入ったのである。

この視点に立てば、新三様は単なる新しい廃棄物ではなく、「廃棄物政策が産業政策へと転換した瞬間」を示すものであり、その歴史的意味は、個別のリサイクル技術の成否をはるかに超えたところにあると言える。

■第3章 新三様の構造的特徴

― 非対称性を束ねることで成立する「制度による資源化」 ―

第1章で見たように、新三様は単なる廃棄物分類ではなく制度単位であり、第2章で見たように、それは廃棄物政策が資源安全保障へと転換した結果として現れている。では、その制度の内部構造はどのような特徴を持つのか、と問うとき、まず直視すべきは、この三つの対象が本質的に非対称であるという事実である。

すなわち、動力電池、太陽光パネル、風力ブレードは、資源性、処理難易度、経済性のいずれにおいても大きく異なっており、通常であれば同一の政策枠組みに入れる合理性は乏しい。にもかかわらず、それらが一体として扱われている。この「不自然さ」こそが、この政策の本質を示している。

まず、資源性という観点から見れば、動力電池は明確に「回収する価値のある資源」を含む。リチウム、コバルト、ニッケルは、供給制約があり、価格も高く、回収技術も既に一定程度確立している。したがって、これは従来の「都市鉱山」概念の延長線上で理解可能である。

これに対して、太陽光パネルや風力ブレードは、その大部分がガラスや樹脂であり、元素としての価値は低い。しかも、分離や回収にコストがかかり、再資源化しても経済的に成立しにくい。すなわち、これらは「資源として成立しにくい廃棄物」である。

通常の発想であれば、前者は資源政策として扱い、後者は廃棄物処理政策として扱うのが合理的である。しかし新三様では、それらをあえて同一の枠組みに入れる。ここで行われているのは、「資源性の高いもの」と「低いもの」を分けるのではなく、「制度によって同じカテゴリーに入れる」という操作である。

このとき何が起きるか。

第一に、資源の定義が「内在的価値」から「制度的価値」へと転換する。すなわち、従来は市場価格や回収可能性によって決まっていた資源性が、「回収が義務付けられているかどうか」によって決まるようになる。太陽光パネルや風力ブレードが資源として扱われるのは、それが市場的に価値を持つからではなく、「制度的に回収される対象として位置付けられたから」である。

第二に、異なる性質の対象を束ねることで、制度のスケールが成立する。動力電池だけでは、確かに資源戦略としては成立するが、量的にはまだ限定的であり、産業としての裾野も限られる。これに対して、太陽光パネルや風力ブレードを含めることで、対象は一気に拡大し、「新エネルギー廃棄物全体」という巨大な市場が形成される。このスケールこそが、リサイクル産業への投資を呼び込み、技術開発を加速させる。

つまり、ここでは「質」ではなく「量」と「網」が優先されている。

第三に、制度が技術を先導する構造が形成される。従来の循環経済は、「技術的に可能で、経済的に成立するものから循環する」という順序で進んできた。しかし新三様では、「制度的に回収を義務付ける」ことによって、まだ技術的に未成熟であっても市場が成立する。例えば、風力ブレードのリサイクルは現状では困難であるが、処理義務が課されることで、技術開発の必要性が強制的に生じる。

これは、「技術が制度に従う」構造であり、順序が逆転している。

第四に、機能リサイクルと元素リサイクルが混在したまま制度化される。動力電池は元素回収を前提とするが、太陽光パネルや風力ブレードは、現状ではセメント原料や燃料代替といった機能的利用に留まる。にもかかわらず、それらが同じ「資源循環」の枠組みに入ることで、「何をもって循環とするか」という定義が曖昧化する。

この曖昧さは一見すると問題に見えるが、制度としてはむしろ柔軟性として機能する。すなわち、技術が進めば元素回収に移行し、進まなければ機能利用で留めるというように、制度が技術の不確実性を内包することができる。

第五に、そして最も重要な点として、「資源の質」ではなく「回収網の支配」が競争の本質となる。新三様において競われているのは、どの金属をどれだけ回収できるかではなく、「どの企業が、どの制度の下で、どの回収網を押さえるか」である。デジタルID、トレーサビリティ、回収義務、これらが組み合わさることで、一度形成された回収ネットワークは強固な参入障壁となる。

この結果、資源循環は単なる環境対策ではなく、「インフラ支配」の問題へと変わる。

ここで改めて見えてくるのは、新三様が「資源を回収する仕組み」ではなく、「資源として扱う対象を制度で拡張し、それを一体的に管理する仕組み」であるという点である。

言い換えれば、それは「資源の発見」ではなく「資源の創出」である。

そしてこの構造の下では、技術的に価値が低いものも、制度によって資源として組み込まれ、その結果として市場が形成される。ここにおいて、資源とはもはや自然に存在するものではなく、「制度によって成立するもの」となる。

このように考えると、新三様の本質は、三つの対象の選定にあるのではなく、「非対称な対象を束ねることで、制度そのものを資源化装置として機能させる」という点にあると言える。

したがって、この政策を評価する際には、「リサイクル効率」や「回収率」といった指標だけでは不十分であり、「どのような制度が、どのような市場を強制的に成立させているのか」という視点が不可欠となる。

そしてこの視点に立つとき、新三様は、循環経済の延長ではなく、「制度が経済を先行的に構築する」という、新しい段階の産業政策として位置づけられるのである。

■第4章 資源戦略か方便か

― 非対称な対象を束ねることで生まれる「第三の目的」 ―

新三様をめぐる議論において、しばしば提示される問いは単純である。すなわち、これは「資源戦略なのか、それとも政策的な方便なのか」というものである。しかし、この問い自体が、ある種の前提に縛られている。すなわち、資源戦略であるか、そうでないかは、対象の資源性によって一義的に決まるはずだ、という前提である。

しかし、第3章で見たように、新三様はそもそも資源性の異なる対象を一括して扱う枠組みである。したがって、この問いに対して単純に「資源戦略である」「いや方便である」と二分法で答えること自体が適切ではない。

むしろここで問うべきは、「なぜ資源性の低い対象まで含めて資源戦略として語られるのか」であり、そのとき初めて、この政策の本質が見えてくる。

まず、動力電池について見れば、これは明確に資源戦略である。リチウム、コバルト、ニッケルといった金属は、供給が地理的に偏在し、かつ需要が急増している。これらを回収し、国内で再利用することは、輸入依存を低減し、価格変動リスクを抑えるという意味で、国家的な合理性を持つ。ここには疑いの余地はない。

しかし、太陽光パネルや風力ブレードに関しては事情が異なる。これらは、現状では元素回収によって天然資源を代替できるレベルには達しておらず、経済性の観点からも、むしろコスト負担が先行する領域である。したがって、これらを「資源戦略」と呼ぶことには、明らかに無理がある。

それにもかかわらず、それらが同一の枠組みに置かれるのはなぜか。

ここで見えてくるのが、「第三の目的」の存在である。

第一に、それは標準化の先取りである。すなわち、まだ技術的にも経済的にも確立していない領域であっても、先に制度を作り、「このように扱うべきだ」という枠組みを提示することで、国際的なルール形成において主導権を握る。太陽光パネルや風力ブレードのリサイクルに関する基準が、中国の制度に基づいて形成されれば、その後の市場はその枠組みに従うことになる。

ここでは、資源としての実体よりも、「どのように扱うか」というルールそのものが価値を持つ。

第二に、それは産業の先行創出である。通常、産業は需要と供給が一致したときに成立する。しかし新三様においては、制度によって回収が義務付けられることで、需要が先に固定される。すなわち、「処理しなければならない量」が制度的に確定するため、それに対応する産業が成立する余地が生まれる。

特に、太陽光パネルや風力ブレードのように、現時点では経済性が乏しい分野においては、この「制度による需要創出」がなければ、産業そのものが立ち上がらない。したがって、これらを新三様に含めることは、資源戦略というよりも、「将来の産業を先に囲い込む」という意味を持つ。

第三に、それは主導権の確保である。新エネルギー分野において、中国は既に製造段階で大きなシェアを持っているが、廃棄段階についてはまだ制度が確立していない。この空白において先行して制度を構築することで、製造から廃棄、さらに再資源化に至るまでの全体を一貫して支配することが可能になる。

ここで重要なのは、主導権とは単に市場シェアの問題ではなく、「どのようなルールで市場が動くか」を決める力であるという点である。

この三つの目的を総合すると、新三様は、資源戦略であると同時に、むしろそれを超えた「制度戦略」であると言える。

そしてこの構造の中では、「資源であるかどうか」という問いは、必ずしも中心的ではなくなる。むしろ、「資源として扱うことを制度が強制するかどうか」が重要となる。

このとき、資源戦略と方便の区別は意味を失う。

なぜなら、方便として導入された制度が、そのまま資源戦略として機能し始めるからである。例えば、太陽光パネルのリサイクルが、当初は環境対策として導入されたとしても、回収網が整備され、技術が進展すれば、それは結果として資源供給の一部となる。すなわち、方便は時間の経過とともに実体化する。

ここにおいて、政策は「現在の合理性」ではなく、「将来の構造」を基準に設計されていると言える。

さらに言えば、この構造は、「資源の不足に対応する」という従来の資源戦略とは異なる。むしろ、「資源として扱う領域を拡張することで、資源問題そのものの枠組みを変える」という性格を持つ。

この意味で、新三様は、資源戦略の延長ではなく、「資源という概念の再設計」である。

したがって、この政策を単に「リサイクルを強化している」と捉えるのは不十分であり、「資源の範囲を制度によって広げ、その中で産業と市場を同時に構築する」という試みとして理解する必要がある。

そしてこの視点に立つとき、新三様は、資源戦略か方便かという二分法を超えて、「制度によって未来の産業構造を先に固定する」という、中国的政策思考の一つの完成形として位置づけられるのである。

■第5章 制度設計の本質

―「強制経済」としての循環がどのように成立しているのか―

第4章までで見てきたように、新三様は資源戦略であると同時に制度戦略であり、その本質は「資源として扱う領域を制度によって拡張すること」にある。しかし、制度は存在するだけでは機能しない。それが現実の経済として動くためには、具体的な仕組み、すなわち「どのようにして人や企業を動かすか」という設計が不可欠である。

ここで重要となるのが、「強制経済」とでも呼ぶべき仕組みである。

この言葉は、必ずしも強権的な意味を指すものではない。むしろ、「市場原理だけでは成立しない経済活動を、制度によって成立させる」という意味において理解すべきである。すなわち、利益が出るから動くのではなく、「動かざるを得ない条件」を制度的に作ることで、結果として経済活動が成立する。

そのための仕組みは、いくつかの層に分かれて設計されている。

まず第一に、「やらない」という選択肢を排除する仕組みである。これは、埋立禁止や回収義務といった形で現れる。例えば、太陽光パネルや動力電池については、一定条件下での埋立が制限され、必ず回収・処理のルートに乗せることが求められる。ここでは、「回収するかどうか」という意思決定の余地はなく、「どのように回収するか」という選択に限定される。

このとき、廃棄物は単なる不要物ではなく、「制度的に流れが決められた物質」となる。

第二に、コストの事前内部化である。従来、廃棄物処理のコストは廃棄段階で顕在化していた。しかし新三様においては、EPR(拡大生産者責任)や前払い基金といった仕組みによって、そのコストは製品の販売段階、あるいはそれ以前に織り込まれる。動力電池であれば、製造時点で将来の回収・処理費用が積み立てられ、製品価格に内包される。

これにより、リサイクル事業者は市場価格に依存せずに一定の収入を確保できるようになり、採算性の低い分野でも事業が成立する余地が生まれる。言い換えれば、経済性は市場からではなく、制度から供給される。

第三に、トレーサビリティの強制である。新三様の中でも特に動力電池において顕著であるが、製品にはデジタルIDが付与され、その製造、使用、回収、再資源化の全過程が追跡される。この仕組みによって、どこで誰がどのように扱ったかが可視化され、不適切な処理や非正規ルートへの流出が抑制される。

ここで重要なのは、単なる監視ではなく、「流れを制度的に固定する」という点である。一度このネットワークに組み込まれた製品は、そこから外れることが難しくなり、結果として回収網が安定的に維持される。

第四に、標準と認証による市場の制御である。回収された廃棄物がどのように処理され、その結果得られた再生材がどのように評価されるかは、標準によって決まる。例えば、再生材の品質基準や使用義務が設定されれば、それに適合する企業だけが市場に参入できる。

これは、単なる品質管理ではなく、「市場へのアクセス条件」を制度が決めることを意味する。すなわち、標準は技術仕様であると同時に、競争ルールでもある。

第五に、資金と金融の組み込みである。回収・リサイクル事業は初期投資が大きく、回収期間も長い。このため、政策金融や補助金、税制優遇が組み合わされ、資金面からも制度が支えられる。ここでは、単に企業の自助努力に任せるのではなく、国家がリスクの一部を引き受けることで、産業の立ち上がりを促進する。

このように見てくると、新三様の制度は、

  • 規制(やらないことを禁止する)
  • 費用(コストを事前に分配する)
  • 情報(流れを追跡する)
  • 標準(市場の入口を定義する)
  • 資金(成立条件を補完する)

という複数の要素が組み合わさることで、初めて機能していることがわかる。

そして、この組み合わせによって生まれるのが、「強制経済」である。

ここで改めて重要なのは、この強制が単なる規制ではないという点である。もし規制だけであれば、それは単に企業の負担を増やすだけで終わる。しかし、新三様においては、規制と同時に市場が設計されている。すなわち、「やらなければならない」だけでなく、「やれば成立する」条件も同時に与えられている。

この二つが同時に存在することで、初めて産業としての循環が成立する。

さらに言えば、この構造は、従来の市場経済とも、計画経済とも異なる性質を持つ。市場価格だけでは成立しないが、完全に国家が生産を指示するわけでもない。むしろ、制度が枠組みを定め、その中で企業が競争するという形である。

この意味で、新三様は「制度によって市場を作る」という新しい経済の形を示している。

そして、この仕組みが一度成立すると、その影響は国内にとどまらない。なぜなら、製品は国境を越えて流通するため、これらの制度は事実上、国際的なサプライチェーンにも影響を及ぼすからである。例えば、中国市場に参入する企業は、これらの回収義務やトレーサビリティに対応せざるを得ず、その結果として、制度は外部にも拡張されていく。

このように、新三様の制度設計は、単に国内の廃棄物問題を解決するものではなく、「制度を通じて市場を形成し、その市場を通じて産業構造を再編する」ための装置であると言える。

したがって、この政策を理解するためには、個別の規制や補助金を見るのではなく、「それらがどのように組み合わされて、どのような経済を成立させているのか」という全体構造を見る必要がある。

そしてそのとき見えてくるのは、サーキュラーエコノミーがもはや環境政策の一部ではなく、「制度によって動かされる産業システム」として再定義されつつあるという現実なのである。

■第6章 日本との対比

― 技術はあるが、制度が構造を作らないという問題 ―

ここまで見てきた新三様の構造を、日本の制度と対比してみるとき、まず感じられるのは、単なる制度の違いではなく、「廃棄物とは何か」「循環とは何か」に対する基本的な認識の差である。

日本の廃棄物制度は、長い時間をかけて高度化されてきたものであり、その精緻さや運用の安定性においては世界的に見ても極めて高い水準にあると言ってよい。しかし、その設計思想は一貫して、「適正処理」を中心に据えてきた。すなわち、廃棄物は環境負荷の源であり、それを安全に処理し、外部不経済を抑制することが制度の主目的であった。

この思想は、廃棄物処理法に象徴される。ここでは廃棄物は、「一般廃棄物」「産業廃棄物」「特別管理産業廃棄物」といった分類に基づき、それぞれに応じた処理責任と処理方法が定められる。重要なのは、この分類が「性状」と「排出主体」に基づいており、「資源としての価値」に基づいていないという点である。

したがって、日本の制度においては、廃棄物はあくまで「処理の対象」であり、「資源であるかどうか」は二次的な問題に留まる。

もちろん、日本にも資源循環を促進する制度は存在する。資源有効利用促進法や、家電リサイクル法、自動車リサイクル法などがそれに該当する。しかしこれらは、いずれも特定製品ごとに個別に設計されており、制度全体として一体的に運用されているわけではない。

ここに、新三様との決定的な差がある。

中国においては、動力電池、太陽光パネル、風力ブレードといった異なる対象が、「新三様」という一つの枠組みの中で統合されている。それに対して日本では、電池は電池、パネルはパネル、建設系廃棄物は建設系廃棄物として、それぞれ別の制度の下で扱われる。この結果、制度間の連携は弱く、サプライチェーン全体を通じた一体的な管理は困難となる。

この違いは、単なる制度設計の問題に見えて、実は産業構造に直接的な影響を与える。

例えば、動力電池のリサイクルを考えるとき、日本では個別企業が回収・再資源化の仕組みを構築する必要があり、そのコストは企業ごとにばらつく。一方、中国では制度によって回収網があらかじめ形成されているため、企業はその枠組みの中で事業を展開することができる。すなわち、日本では「企業が制度を補完する」のに対し、中国では「制度が企業を支える」という関係になっている。

さらに重要なのは、責任の所在の違いである。日本の制度は、依然として排出者責任を基本としており、「誰が廃棄したか」が重視される。一方、新三様では設計者責任が強く、「誰が作ったか」が問われる。この違いは、製品設計に対するインセンティブを大きく変える。

排出者責任の下では、廃棄段階での処理コストをいかに低減するかが問題となるが、設計者責任の下では、そもそも回収・分解しやすい設計を行うことが求められる。つまり、問題の発生後に対応するのか、発生前に構造を変えるのかという違いである。

また、日本の制度は、市場原理との整合性を強く意識している。リサイクルは、可能な限り経済的に成立する範囲で行うべきであり、過度な負担は避けるべきだという考え方が根底にある。そのため、採算性の低い分野では制度導入が遅れがちになる。

これに対して新三様では、経済性は制度によって補完される。すなわち、「採算が合わないからやらない」のではなく、「やることを前提に採算を後から合わせる」という順序である。この違いは、特に太陽光パネルや風力ブレードのような分野において顕著に現れる。

さらに、日本の制度は、国際的な標準化においても慎重である。技術的に確立されたものを基準として採用し、段階的に制度化する傾向がある。一方、中国は、未確立の領域であっても先に制度を提示し、それを標準化の出発点とする。この結果、日本は「正確だが遅い」、中国は「粗いが早い」という対比が生じる。

このように見てくると、日本の制度は、

  • 適正処理を重視する
  • 個別最適で設計される
  • 排出者責任を基本とする
  • 市場原理との整合を重視する
  • 技術確立後に制度化する

という特徴を持つのに対し、新三様は、

  • 資源安全保障を重視する
  • 一体的に設計される
  • 設計者責任を強く求める
  • 制度によって市場を作る
  • 制度が技術を先導する

という、ほぼ対照的な構造を持っている。

この差は、単に制度の違いではなく、「どのように産業を作るか」という戦略の違いである。

そして、この違いが最も大きな意味を持つのは、今後の新エネルギー分野においてである。すなわち、電池、再エネ設備、さらにはそれらに付随する資源循環の領域において、日本は個別技術では優位を持ち得るものの、制度によって形成される市場全体においては後手に回る可能性がある。

したがって、日本にとっての課題は、「中国の制度を模倣するかどうか」ではなく、「制度が産業構造を規定する段階に入っている」という認識を持つことにある。

その上で、どの領域で制度を統合し、どの領域で従来の枠組みを維持するのか、という戦略的な選択が求められる。

そしてこの選択を誤れば、技術的には優れていても、市場の構造そのものにアクセスできないという状況が生じうるのである。

■第7章 新三様の限界と矛盾

― 制度が先行するがゆえに生じる歪みと、その帰結 ―

ここまで見てきたように、新三様は制度によって市場を先行的に構築し、資源の範囲そのものを拡張するという点において、従来の循環経済とは異なる段階にある。しかしながら、この構造は強力であると同時に、いくつかの本質的な限界と矛盾を内包している。

むしろ重要なのは、その強さゆえに、それらの矛盾が表面化しにくいという点である。

まず第一に、資源性の過大評価という問題がある。動力電池については、確かに資源回収としての実体が存在するが、太陽光パネルや風力ブレードに関しては、その大部分が低付加価値の材料であり、現状では天然資源の代替として機能するレベルには達していない。それにもかかわらず、制度によって「資源」として扱われることで、あたかも資源循環が成立しているかのような印象が生まれる。

このとき、循環は実体としての資源循環ではなく、「制度的に成立した循環」となる。

第二に、経済性の持続可能性に関する問題がある。強制経済の構造においては、コストは制度によって分配されるため、短期的には産業が成立する。しかし、そのコストがどこまで社会的に受容されるかは別の問題である。前払い基金や補助金によって支えられた仕組みは、負担が見えにくいがゆえに成立する側面を持つが、長期的にはその累積が制度疲労を引き起こす可能性がある。

とりわけ、資源回収による収益が期待できない分野においては、制度が継続的にコストを供給し続けなければならず、その負担は最終的には製品価格や税負担として顕在化する。

第三に、技術の時間軸との不整合がある。新三様の制度は、将来的な資源循環の成立を前提として設計されているが、技術の進展は必ずしも制度の期待通りには進まない。例えば、風力ブレードの完全リサイクルや、太陽光パネルの高効率な元素回収は、現時点では確立されておらず、実用化までには長い時間を要する可能性がある。

このとき、制度は「まだ存在しない技術」を前提に動き続けることになり、現実との間にギャップが生じる。このギャップは、初期段階では政策的な意志によって覆い隠されるが、時間の経過とともに、経済的・技術的な制約として顕在化する。

第四に、資源の質と量の混同がある。新三様においては、対象を束ねることで量的なスケールが確保されるが、その中には資源性の低いものも含まれる。この結果、「大量に回収されている」という事実が、「資源循環が進んでいる」という評価にすり替わる危険がある。

しかし、実際には、資源循環の質、すなわち天然資源の代替性やエネルギー効率といった観点が伴わなければ、それは単なる物質の移動に過ぎない。この点を見誤ると、循環の量的拡大がそのまま環境負荷の低減につながるという誤解が生じる。

第五に、国際的な不均衡の問題がある。新三様の制度は、中国国内では強力に機能するが、それが国際的にどのように展開されるかは別の問題である。特に、廃棄物の越境移動が制限される中で、各国が同様の制度を導入した場合、資源の回収・再利用は国内に閉じた形で行われることになる。

この結果、資源を多く消費する国と、資源を供給する国との間で、新たな不均衡が生じる可能性がある。また、制度に対応できない国や企業は、サプライチェーンから排除されるリスクを負う。

第六に、そしてより根本的な問題として、制度が現実を規定しすぎることによる硬直性がある。新三様は、制度によって市場を形成するという点で強力であるが、その反面、一度形成された枠組みが固定化されると、技術や市場の変化に対する柔軟性が失われる可能性がある。

例えば、より効率的なリサイクル技術や代替材料が登場した場合でも、既存の制度やインフラがそれに適応できなければ、かえって非効率な構造が維持されることになる。

このように見てくると、新三様は、

  • 資源の再定義
  • 制度による市場創出
  • 産業構造の先行的構築

という点で革新的である一方、

  • 資源性の過大評価
  • 経済性の持続性
  • 技術との時間差
  • 循環の質の問題
  • 国際的不均衡
  • 制度の硬直性

といった複数の課題を同時に抱えている。

重要なのは、これらの問題が互いに独立しているのではなく、むしろ制度の強さそのものから生じているという点である。すなわち、制度が市場を強制的に成立させるからこそ、その前提が揺らいだときの影響もまた大きくなる。

したがって、新三様を評価する際には、その先進性やスケールだけでなく、「どのような前提の上に成り立っているのか」「その前提が崩れたときに何が起こるのか」という視点が不可欠となる。

そしてこの視点に立つとき、新三様は単なる成功事例でも失敗事例でもなく、「制度によって未来を先取りしようとする試みが、どのような可能性とリスクを同時に生み出すのか」を示す、極めて示唆的なケースとして位置づけられるのである。

■第8章 それでもなぜ進むのか

― 「技術を待たない」という時間戦略と構造優位の確保 ―

第7章で見たように、新三様の構造は、資源性の過大評価や経済性の不確実性、さらには技術との時間差といった複数の限界を内包している。それにもかかわらず、中国はこの政策を躊躇なく推し進めている。この点を単に「国家の強権性」や「政策の粗さ」として片付けることは容易であるが、それではこの動きの本質を見誤ることになる。

むしろ問うべきは、「なぜそのようなリスクを織り込んだ上で、なお制度を先行させるのか」である。

ここでまず浮かび上がるのは、時間に対する認識の違いである。従来の産業政策、とりわけ日本や欧州においては、「技術が確立し、経済性が確認されてから制度を整える」という順序が基本であった。すなわち、不確実性が低減されるまで待ち、その上で制度化するというアプローチである。

これに対して新三様では、その順序が逆転している。すなわち、「将来必要になるであろう構造」を先に制度として固定し、その後に技術と経済性を追随させる。このとき重要なのは、「技術が成熟するまで待つ」という選択肢が、政策的には採られていないという点である。

なぜ待たないのか。

それは、資源・エネルギー・産業の構造が、待つことでむしろ固定されてしまうという認識があるからである。例えば、動力電池の供給網が他国主導で確立されてしまえば、その後に参入する余地は極めて限定される。同様に、再生可能エネルギー設備の廃棄・回収の仕組みが他国の標準に基づいて構築されれば、その枠組みの中でしか競争できなくなる。

したがって、ここでの戦略は、「最適な技術を選ぶこと」ではなく、「構造が確定する前に、その構造を自ら設計すること」にある。

このとき、制度は単なる規制ではなく、「未来の市場を先取りする装置」として機能する。

第二に見えてくるのは、産業を「連続体」として捉える視点である。従来の産業政策は、製造、流通、消費といった段階ごとに分断されていた。しかし新三様においては、製造から廃棄、さらには再資源化に至るまでが一体のシステムとして設計されている。

この結果、産業は単なる製品の集合ではなく、「物質と情報の流れとしての構造」として把握されるようになる。そして、その流れをどこまで自国の制度の中に取り込めるかが、競争力の指標となる。

ここで重要なのは、循環が目的ではなく、「循環を通じて流れを支配すること」が目的となっている点である。

第三に、スケールによる優位性の確保がある。新三様は、資源性の異なる対象を束ねることで、極めて大きな市場を形成している。このスケールは、個別の技術的合理性を超えて、産業としての成立条件を決定づける。

すなわち、ある技術が単独では採算に合わなくても、大規模な回収網の中に組み込まれることで、結果として成立する。この構造は、特に資源性の低い分野において有効であり、「小さくは成立しないが、大きければ成立する」という逆説的な状況を生み出す。

ここにおいて、スケールは単なる量ではなく、「制度と結びついた構造の大きさ」として機能する。

第四に、不確実性の受容という戦略がある。新三様の制度は、技術的にも経済的にも未確定な要素を多く含んでいるが、それらを排除するのではなく、むしろ制度の中に取り込んでいる。すなわち、「確実なものだけを選ぶ」のではなく、「不確実なものを含めたまま前に進む」という選択である。

このとき、リスクは個別企業ではなく、制度全体によって分散される。結果として、個々の失敗は吸収される一方で、成功した場合の効果は全体に波及する。この構造は、ある種の「ポートフォリオ」として機能する。

第五に、そして最も重要な点として、主導権を巡る競争の認識がある。新三様の背景にあるのは、単なる資源確保や環境対策ではなく、「誰が次の産業のルールを決めるのか」という問題である。

ここでの主導権とは、技術の優位性だけではなく、

  • どのような製品が流通するか
  • どのような方法で回収されるか
  • どのような基準で評価されるか

といった一連のルールを設定する力を意味する。

この観点に立てば、新三様は、資源戦略でも循環政策でもなく、「ルール形成戦略」であると言える。

そして、この戦略においては、「完全であること」よりも「先に動くこと」が優先される。なぜなら、ルールは一度成立すれば、その後の改善はその枠組みの中で行われるからである。

以上のように見てくると、新三様が抱える矛盾や限界は、単なる欠点ではなく、「先に構造を作る」という戦略の裏返しであることがわかる。

すなわち、

  • 技術が未成熟であることは、制度先行の前提であり
  • 経済性が不確実であることは、スケールで補う対象であり
  • 資源性が曖昧であることは、定義を拡張する契機である

というように、それらはすべて戦略の中に組み込まれている。

したがって、新三様を理解するためには、その合理性や効率性を個別に評価するのではなく、「なぜこのような順序で物事が進められているのか」という視点から捉える必要がある。

そしてそのとき見えてくるのは、中国が目指しているのが、単なる循環経済の実現ではなく、「制度によって未来の産業構造を先取りする」という、より大きな枠組みであるということである。

■第9章 新三様をどう読むか

― 「成功か失敗か」ではなく「構造の試行」として捉えるということ ―

ここまでの議論を振り返ると、新三様は一方で制度によって市場を先行的に構築するという点で極めて先進的でありながら、他方で資源性や経済性、技術との整合といった観点において多くの不確実性を抱えていることが明らかになっている。

このような対象に対して、しばしば取られる態度は二つに分かれる。すなわち、「中国は先を行っている」という評価か、「無理のある政策である」という批判である。しかしながら、この二分法は、この現象の本質を捉えるには不十分である。

むしろ、新三様は「成功か失敗か」という枠組みで評価されるべきものではなく、「制度によって産業構造を先に作ろうとする試みが、どのような形で現れるのか」を示すケースとして理解する必要がある。

ここで重要なのは、制度と現実の関係がどのように変化しているかである。

従来の政策においては、制度は現実に存在する産業や技術を前提として設計されてきた。すなわち、「すでにあるもの」を整理し、効率化し、あるいは規制するための枠組みであった。しかし新三様においては、制度は「まだ完全には存在していないもの」を前提として設計されている。

このとき、制度は現実を反映するものではなく、現実を引き寄せる装置として機能する。

この転換をどう評価するか。

ここで一つの見方として、新三様を「過剰な制度化」と捉えることもできる。すなわち、まだ成立していない資源循環を、制度によって無理に成立させようとしているという見方である。この観点に立てば、資源性の低い対象を含めることや、経済性を度外視した制度設計は、非効率の温床となる可能性を持つ。

しかし別の見方をすれば、それは「制度によって試行錯誤を加速させる仕組み」とも言える。すなわち、市場に任せていては進まない領域に対して、制度によって一度流れを作り、その中で技術と経済性を適応させていくというアプローチである。

ここでは、効率よりも速度が優先されている。

このとき、新三様は「完成されたモデル」ではなく、「進行中の実験」として位置づけられる。

さらに重要なのは、この実験が個別の技術ではなく、制度そのものを対象としているという点である。すなわち、どの技術が最適かを試すのではなく、「どのような制度であれば産業が成立するのか」を試しているのである。

この視点に立つと、新三様の中に見られる矛盾や非対称性は、単なる欠陥ではなく、「制度の適用範囲をどこまで拡張できるか」を探る過程として理解できる。

例えば、資源性の低い太陽光パネルや風力ブレードを含めることは、一見すると不合理である。しかし、それによって制度の適用範囲が広がり、結果としてより大きな産業構造が形成されるのであれば、それは一種の戦略的選択であるとも言える。

このように考えると、新三様は、

  • 技術の完成度
  • 経済性の確実性
  • 資源性の明確性

といった従来の評価軸ではなく、

  • 制度がどこまで現実を動かせるか
  • 不確実性をどこまで吸収できるか
  • 構造をどの段階で固定できるか

といった、新しい評価軸で見る必要がある。

そしてこの評価軸においては、「完全であること」よりも、「動かしていること」そのものが意味を持つ。

さらに言えば、新三様は中国固有の現象であると同時に、より広い文脈の中で捉えるべきでもある。すなわち、脱炭素化、資源制約、地政学的分断といった複数の要因が重なる中で、「市場に任せるだけでは構造が変わらない」という認識が各国で共有されつつある。

その中で、中国は最も極端な形で「制度先行型」のアプローチを取っているに過ぎない。

したがって、新三様を外から評価する際には、「是か非か」を問うのではなく、「どのような構造を試しているのか」を読み取ることが重要となる。

そしてそのとき見えてくるのは、サーキュラーエコノミーが単なる環境政策ではなく、「制度を通じて未来の産業を設計する手段」として用いられているという現実である。

この現実をどのように解釈するかは、各国の立場や戦略によって異なるであろう。しかし少なくとも、新三様を従来の延長線上で理解することはできない。

それは、サーキュラーエコノミーが一つの段階を越え、「制度が現実を先導する領域」に入ったことを示す、転換点として捉えるべきものなのである。

■第10章 総括

― 循環から構造へ、そして制度が資源を定義する時代へ ―

ここまで見てきた新三様の動きは、表面的には廃棄物処理の高度化、あるいは資源循環の拡大として理解されがちである。しかし、その内実を辿っていくと、そこにあるのは単なる循環経済の延長ではなく、「循環という概念そのものを使って産業構造を再設計する」という、より大きな転換であることが明らかになる。

従来、循環経済とは、資源の有効利用や環境負荷の低減を目的とした補完的な仕組みとして位置づけられてきた。すなわち、一次資源の採掘や製造といった主たる経済活動があり、その外側で廃棄物を回収し、再利用することで効率を高めるという構造である。この意味で、循環はあくまで「後段」に位置するものであった。

しかし新三様においては、この関係が反転している。

すなわち、循環はもはや補完ではなく、「前提」として組み込まれる。製品は最初から回収されることを前提に設計され、その流れは制度によって固定される。結果として、製造・使用・廃棄・再資源化は一体のシステムとして再編され、循環はその中心に置かれる。

このとき、変わるのは単なるプロセスではなく、「資源とは何か」という定義そのものである。

第3章で見たように、新三様では資源は内在的価値によってではなく、制度によって規定される。すなわち、回収される対象である限り、それは資源として扱われる。この結果、従来であれば廃棄物として処理されていたものが、制度の中では資源として位置づけられる。

ここにおいて、資源は自然から与えられるものではなく、「制度によって成立するもの」へと変わる。

さらに重要なのは、この制度が単なる国内政策に留まらないという点である。製品は国境を越えて流通し、その回収・再資源化の仕組みもまた国際的なサプライチェーンの中に組み込まれる。この結果、新三様のような制度は、事実上、国際的なルールとして機能し始める。

すなわち、サーキュラーエコノミーは環境政策の領域を超え、「どの国が産業の構造を設計するか」という問題へと転化する。

この視点に立つと、新三様の意義は、個別のリサイクル技術の進展や回収率の向上といった次元には収まらない。それはむしろ、「制度が市場を形成し、その市場が産業構造を規定する」という、新しい経済のあり方を示している。

そしてこの構造の中では、技術の優位性だけでは競争に勝つことはできない。どれほど優れた技術を持っていても、それが組み込まれる制度や市場が他国によって設計されている限り、その価値は限定される。

ここに、日本にとっての課題がある。

日本は、これまで高い技術力と品質によって産業競争力を維持してきた。しかし、その前提として、技術が市場を決定するという暗黙の認識があった。すなわち、優れたものを作れば、それが評価され、市場で選ばれるという考え方である。

しかし、新三様が示しているのは、その順序が逆転しつつあるという現実である。

すなわち、

  • 市場は制度によって設計され
  • 技術はその枠組みの中で選択され
  • 産業はその結果として形成される

という構造である。

この変化に対して、日本が取るべき対応は単純ではない。中国と同様の制度をそのまま導入することは、社会的・制度的な前提の違いから困難であろう。しかし、少なくとも認識として、「制度が産業を規定する段階に入っている」という事実を受け入れる必要がある。

その上で、日本が持つ強み、すなわち精緻な技術、品質管理、長期的な信頼性といった要素を、どのような制度の中で活かすのかを再設計することが求められる。

ここで重要なのは、「制度を作るか、従うか」という二択ではなく、「どの領域で自ら制度を設計し、どの領域で他国の制度を利用するか」という戦略的な切り分けである。

また、サーキュラーエコノミーそのものについても、再考が必要である。すなわち、循環を単なる環境対策としてではなく、「資源・産業・制度を統合する枠組み」として捉え直すことである。

このとき初めて、循環はコストではなく、構造を設計するための手段となる。

最後に、新三様が示しているものを一言で表すならば、それは「循環から構造へ」という転換である。

循環はもはや目的ではなく、構造を形成するための手段であり、その構造こそが競争の対象となる。そして、その構造は自然に形成されるものではなく、制度によって意図的に設計される。

この現実をどのように受け止めるかによって、今後の産業の位置づけは大きく変わるであろう。

したがって、新三様を単なる中国の政策としてではなく、「制度が資源を定義し、産業を形成する時代の始まり」として捉えることが、これからの議論の出発点となるのである。

(指令原文はリンクのページ参照)

                                                        原田幸明

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